震災について、自分の考えを、自分のためにまとめておく。
あとで読めるように。
大地震が来た時は会社にいて、ビルの13階にいたから、ものすごく揺れて死ぬかと思った。
手が震えた。恐怖がぐんぐんあがってきて、のど元まで来た感じだった。
同じ部署の外出した連中の安否を確認すべく、つながらない電話をかけた。
電話がつながらなくてイライラした。
歩いてクライアントまで行き、プレゼンをした。
プレゼンはうまく行かなかった。
コンビニは、何もなかった。
たまたま入れた店でカレーを頼んだ。
ご飯がなくて、炊きあがるまで待たされた。
帰宅難民になり、一晩会社に泊まった。
それまでプレゼンの準備でずっと忙しく、寝てなかった状態に追い討ちをかけられた。
ツイッターをずっと見てて、みんなの意見にイライラした。
僕は何も言えなかった。
その日の夜にブログを書いたが、すぐに消した。
ずっともやもやして気持ち悪かった。
なにが良くて何が悪いのかよくわからなかった。
なにしろイライライライラした。
糸井さんのほぼにちのスタンスを読んでおどろいた。
消えちゃうといけないので、コピペします。
---
信じがたいようなことが起きて、
それが事実なのだと知ってから、
ぼくらは、なにをどうすればいいのか、
すっかりわからなくなっていました。
わかること、たしかなことを、ひとつずつ数えて、
なにができるのか、どうしたらいいのか、
それについて考えました。
1:ぼくらは「たいしたことないもの」です
まず、前提として、
ぼくらは「たいしたことないもの」だということです。
じぶんたちの力を過信して、
あれもできるこれもしたいと言うことはしません。
「ほぼ日」ならやってくれそうだ、
と期待されていることは、ありがたいのですが、
ぼくらは「たいしたことないもの」です。
その「たいしたことないもの」でもできることを、
考えるべきだと思いました。
2:こころのことは、別にしました
愛であるとか、尊いお気持ちであるとか、
それはそれは大切なものだと思います。
でもいまは、見えるもの、食えるもの、あたたかいもの、
いのちの助けになるもの‥‥とても具体的なものが、
必要な時期だと考えました。
愛ややさしさは、そのままご自分の胸のなかに、
大事に保管しておいてください。
大きく育てておいて、いずれ使ってください。
いま、ぼくらは具体的な力を集めます。
3:かっこいいアイデアはありません。
奇手奇策、胸の空くようなアイディア、
みごとな表現、さすがと言われるような方法。
そういうものは、ないです。
「実効」のあることを、とだけ考えました。
「たいしたことないもの」たちですが、
確実にできることがあったら、この臨時ページも、
少しずつ広がっていくかもしれません。
いまは、以下のような内容だけお届けしています。
読んでいただけて、被災された方々の
少しでもお役に立てたら幸いです。
2011年3月14日 糸井重里
---
ずっともやもやイライラしていた事がすっきりして、
こういう事だったのかと腑に落ちて、気が楽になった。
こういうときに、自分の考えをきちんと整理して、
自分のスタンスとして、きちんと発言すべき時に発言する事は、
重要な事だと思った。
これから、僕もいい大人だし、
仕事やいろんな局面で意見を求められる時がくるはず。
また今は自分の意見をじゃんじゃんながせる時代だから
みんなが好き勝手発言できる時代だから
その中で自分のスタンスもある程度は示さないと
お前どっちなんだよって(どっちも何もないんだけど)なっちゃう。
周りに惑わされずにしっかりたつ。
周りの意見も尊重しつつ、自分の意見をしっかり持つ。示す。
地震についての考えは、アナログと言っていいのかどうかだけど、
自分自身の身の回りのホントに身近な力がどれだけあるかに
関わってくるんだなぁって身にしみた。
家族との絆や、原始的な道具がどれだけ使えるかや、不便を不便と思わない事とか
何でも食えるとか、新聞を読むとか、歩けるとか、信じる力とか
なんか、うまく言えないけど、デジタルやバーチャルじゃない、
目に見えるもの、手でつかめるものが、本当に大事だなと。。。
プロセスが目に見えるもの。
やり直しがきくもの。
0 件のコメント:
コメントを投稿