2011年1月9日日曜日

思惑。

コミュニケーションって難しいなぁ。
伝わっているつもりでも伝わっていなかったり、
共有してるつもりでも共有していなかったり。

似たようで実は全然違う理解とか、
共有できないと思いながら実は同じことで議論し合ったりすることって結構ある。

共有しなければならない事柄の、
根っこの「目的」の部分の共有が、すごく大事ってよく言うけど、
実はその前に、「思惑」があるなぁって、最近気がついた。

「思惑」って言うのが正しいかどうかはあるんだけど、
なんか、人間の根源的な欲求がそこには絡む気がする。

目的を達成することで得たい見込み「思惑」。
この目的を達成して、特に「自分」がどうなりたいか?

例えば、僕は、最近よく思うことは、「腑に落ちたい」って言うのがあります。
ちょっと自分勝手ですが、自分が腑に落ちるとすっきりして、
わくわくして、次の行動の原動力になります。
だから、逆を言えば、目的を達成できそうでも、
自分が腑に落ちなければ、ちょっと賛成できかねる感じがあります。
「それで達成しても、どうなの?」て思っちゃう。

あとは、一緒に仕事をしている仲間が気持ちのいい人たちだと、
「みんなで達成感を味わいたい」ということもよくあります。
(もちろんクライアントも含めて)
その場合は、仕事に対する姿勢を問われるかもしれませんが、
例えば目的が達成できなそうなプランでも、やっちゃいましょう!って思っちゃうかもしれない。
(頑張って目的が達成できそうなプランにしたいですが)

出世に利用したいとか、
名声を得るためとか、
みんなに尊敬されたいとか、
みんなに承認されたいとか
楽したいとか
生き残りたいとか
好きなことしたいとか

というのやら、ほかにもいろいろありますよね。
考えれば、それがモチベーションなのか。

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